吾平津神社の御祭神
主祭神
吾平津毘売命(アヒラツヒメノミコト)
神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の妃であり、神武天皇が大和朝廷をおこすため東遷された時に、同行せずこの地に残り東遷の成功を祈り成就されたことから、諸祈願成就の神として信仰されています。
また、吾平津神社は明治期までは乙姫大明神と呼ばれ、現在も「乙姫神社」とも呼ばれています。
祭神 6柱
当社は主祭神のほか、6柱の神様を祀っています。
- 天照皇大神(アマテラスオオミカミ)
- 武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
- 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
- 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
- 木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
- 経津主命(フツヌシノミコト)
吾平津神社の御由緒
当社は元明天皇の御代の和銅2年(709年)の創建にて、乙姫大明神と称して、江戸時代、飫肥11社の1つとして歴代の藩主の崇敬篤く、明治維新に際し、伊東裕帰知事の意により、吾平津神社と改称され、昭和8年郷社ととなる。
境内に御門神社二社があり、櫛磐間戸命 、豊磐間戸命 の二柱の神をお祭りしてあります。
その外に境内末社として祖霊社、又豊漁及び商売繁盛の霊験あらたかな乙姫稲荷神社が鎮座されています。
主祭神の「吾平津昆売命」は宮崎神宮の御祭神「神武天皇」が狭野尊と称され、まだ日向に在られた頃の妃であり「古事記」によればお二人の間には「多芸志美々命」「岐須美々命」二人の皇子ありとあり、また「日本書紀」には「手研耳命」お一人の皇子ありとある。
神武天皇が皇子や郡臣と共に日向を立って大和朝廷をおこすため東遷された時「吾平津昆売命」は同行せず当地に残こられ、この油津の地より御東遷の御成功と道中の安全をお祈りされました。
この故事により当神社は交通安全、航海安全、商売繁昌、諸祈願成就の神様として篤く信仰されています。